プラテーロとわたし 色んな翻訳で考える

 5/29のコンサートへ向けて、プラテーロとわたしのスペイン語(原語)、ドイツ語、英語を聞いています。どの言葉も何を言ってるのかサッパリわからないです。そうなると言葉やギターの音色や間を感じ取る方向へ脳がシフトします。もちろん日本語も聞いてるんだけど、ドイツ語と英語はギター演奏が言葉の流暢さを超えて流暢なので、そのテンポで日本語のをやると早口言葉みたいになっちゃうと思うんですよね。それに加えて響きの豊かなホールで生音でやると、朗読が小さな声の時にモゴモゴになっちゃう可能性があると思うんです。これは朗読がメインなので、様々な抑揚の朗読が引き立つようにギターを弾かなきゃいけない!楽譜をみれば、そのほとんどが、pp(ピアニッシモ)とかp(ピアノ)の指示。でも速度の指示は速いものがけっこう多いです。その指示通りで僕でも指は動くよ!でも早口言葉みたいな朗読にしちゃったら面白くないです。雰囲気が壊れちゃいます。抑揚豊かな朗読を十分に味わってもらうには楽譜の指示にない間をとることもアリだと勝手に決めつけて、準備を進めています。
 5/29の公演のプラテーロとわたしの部分は去年の5月に宇都宮でやったやつの再演だけど、内容は進化してます。それに相手の息に合わせるのがライブなので絶対に同じにならないのが面白いところでもあります。

お時間ある方、是非、聴きにいらしてください。

すべてはつながっている。

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