ヘブライ語では母音の発音を曖昧して、それぞれの子音の発音に意味を持たせた理由が、後世に生きる我々に、在って在りし自然(神)とは何かを伝えることだとするならば、発音に自然(神)の力(言霊)を伝えることだとするならば、
そしてヘブライ語が失われた理由が、不要に改ざんし真意がわからなくされることを避けるための操作だとするならば、
例えば、
GUITAR の母音を省いて、G(Y)TR。
アルファベットのGはヘブライ文字のギメル。
ギメルは、生きること、祈り、神聖なものを運ぶもの。
このような感じで、
Gはギメル:生きること、祈り、神聖なものを運ぶもの。
Yはヨッド(ヨード):神
Tはテット:知恵(あらゆる経験、知識、力が抜けた後に与えられる知恵)
Rはレーシュ:頭、思考、考え
となって、
それぞれの発音(言霊)を連ねて発想すると、
生きることってのは、どう生きるかべきかを祈ることが大切で、その祈りってのは自然を手本にした祈り方をするべきで、神聖なものを運ぶものってのはこの場合は音のことで、その音ってのは自然を手本にした音かなぁ???とか想像したりして、
神ってのは自然のことで、我々は、宇宙、自然の内側で生きてるから、それを手本にしないで生きれば、それを手本にしないで祈れば、病気になるのかなぁ???とか、自然を手本にしない音は誰も癒されないのかなぁ???誰も喜ばないのかなぁ???とか、
どんな経験も知識も、心身ともに必要以上に力を入れたままでは不自然な結果が出るのかなぁ???とか、痛み苦しみが出るのかなぁ???とか、
普段から自然とはどういうものなのかを観察しながら考えてないと、自分で自分を、みんなを、苦しめる結果になるのかなぁ???とか、
こんなことを考えてると寝てるべき時間があっという間に過ぎて行くのです。
でも僕のところに来てくれた失われた10支族のヘブライ人たちに教えてもらったことから想像して、時々、書き綴ってみます。
すべてはつながっている。