満足とは

二ヶ月に一度のギター愛好家のための発表会がありました。
参加者の皆さん、それぞれのレベルで上達した姿を見せてくれました。

僕は先日のYouTubeライブ配信でお知らせした通り、先生としてバッハのシャコンヌを弾きました。
先生として弾いてるのでそれなりの形にしないといけないし、まだ自分のビビり症になりそうでならない感じを抱き参らせながら進んで行きました。とりあえず「セーフ」って感じでした。ビビり症っていうのは僕が勝手に名付けた症状で、演奏中の気持ちの不安要素が連鎖して必要以上に体に力が入ったり震えたりすることです。

全員の演奏が終わった後に勉強会ということでアドバイスをするんだけど、みなさん、前のめりな感じで話をよく聞き入れてくれるし、ご自身の疑問点を話してくれる、とても良い勉強会だと自負しています。そんな中、一応、僕は、一般人のように、相手の様子を感じながら言葉を選んで話を進めているんですが、にこやかに聞き入れてるようにして話を上手く躱す(かわす)人もいます。その様子を僕なりに分析してみると、人それぞれ、満足は違うんだなぁって考えになりました。僕なんかは、特にギターに関してはどこまでも上手くなりたいから、そういう心構えでギター愛好家にも接してしまうけど、自分のことをよーく考えてみると、満足とか、幸せとか、そういう言葉にすり替えて妥協してるから今の立ち位置なんだろうなって思います。じゃぁ、妥協しないでやれよって思われるかもしれないけど、結局、諦めてるから(精神的に弱っちいから)今のこの立ち位置なんです。でもそれは自分のこと!世間にはいろんな人がいて、どんなに能力が高くても、あるレベルに達すると、自然と満足する思考の人もいます。そういう人に対して、ぐいぐいアドバイスしても響かないよなぁ〜って思う自分と、それでもぐいぐいアドバイスすることで聞いてくれる人の中に無い僕が入り込み相手の思考に変化が起きるからいいのかなぁ〜って思う自分がいます。今の結論は「励ます」という気持ちを忘れずに言葉を選んでぐいぐいアドバイスするっていうことにしています。自分の個性を生かして相手の潜在能力を生かすっていう道を選んでるつもりです。

すべてはつながっている。

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