最近、浮かぶ言葉

なぜなのか、最近、黄泉比良坂(よもつひらさか)っていう言葉が、よく思い浮かびます。
僕は2011年3月21日、東日本大震災の直後に島根県八束郡東出雲町にある伝承地のここを訪れています。
その時のブログを読み返すと、

その時のブログのリンクはここをクリック

『月のキレイな夜に行って、1曲美しく歌ったり踊ったりしてみてはいかがですか?』

って書いてます。
これを読み返して、先日のブログに書いた、『1曲いかがですか?』って聞こえたことを思い出しました。でも黄泉比良坂と塞(さい)の神は関係ないよなぁ…って思ったら。。。

調べてみたら、この伝承地のすぐそばに伊賦夜坂(いふやさか)っていうのがあって塞の神が祀られているようです。『坂』って名前だけど、その場所は坂って言うほどの坂道じゃないです。

ふたつの名前を並べて書くと、黄泉比良坂伊賦夜坂(よもつひらさかいふやさか)。
漢字なんて中国から入ってきた文字であって、ただの当て字。
言葉の音を古語で紐解くと、

よ:世の中
も:災いごと
つ:の
ひら:平ら、平和
さか:元(もと)
いふ:〜と言う
や:大きな玉(エネルギー、魂、神)
さか:元(もと)

となって、

世の中の災いごとを平和にする元をヤサカ(神の元、偉大なエネルギーの元、宇宙エネルギーの元、素粒子)と言う。

宇宙エネルギーの元とか素粒子って言っちゃうとロマンがなくなるけど、
たぶん、そういう意味になるのかもしれません。

黄泉国(よみのくに)は死の国っていうよりは、契約ごとで支配する渡来人が作った地域で、この世っていうのは契約ごとが無くても信頼関係で成り立つ元々の日本のことを言ってて、イザナミは渡来人が統治する地域で暮らすようになったので、イザナギが会いに来た時に、イザナミがその黄泉国の統治者に伺いを立てたけど、黄泉国の鍋で煮炊きしたものを食べるようになったので戻れないって言われたのは、同じ釜の飯を食うとか、盃を交わすみたいな感じで、なんらかの契約でしばられたから戻れなかったんだと思います。イザナミが統治者に伺ってる間にイザナギに覗くなって言ったに覗いたから統治者に見つかったのでイザナギは逃げ帰ることになったのかもしれないし、黄泉国のイザナミは、すり替えられた偽者だったから醜い姿(心や行いがいやしくて顔をそむけたくなる姿)だったのかもしれません。逃げたから追っ手が来たんだと思います。すべてを支配したい渡来人なら追って捕まえそうです。桃子(もものみ)を3つ投げたら醜女シコメ(黄泉国軍)が逃げ帰ったってのは、桃=百で、子は軍だとすれば、300人のイザナギ軍も頑張って応戦してくれたから渡来人軍が撤退したのかもしれません。イザナギ軍で頑張った人をオホカムツミノカミとして、今後、混沌とした我が国(葦原中国アシハラナカツクニ)で困って酷いことになってる人がいたら助けてやってくれって言ったり、戦いで頑張ってくれだけど死んだ人の御魂を塞の神として石に祀って、なにも我ら(イザナギがイザナミと作ろうとしてた国の民)を恨むことが出来ないようにしたのかもしれません。

記紀に書かれた黄泉比良坂の話は大切なことを後世に伝えるたとえ話かもしれないし、支配欲が強い渡来人に見つからないようにするためにたとえ話にして主旨を隠す必要があったのかも知れません。実際はイザナギは渡来人軍に捕まったのかもしれません。いずれにしても、塞の神の守りがあるのだから、長いこの世の歴史の中で、人知れず、イザナギとイザナミはあるべき姿になったと思います。そして2人は星になったことでしょう。2人の思いは宇宙エネルギー(素粒子)となり今後の世界平和へ向けて重要な役目を担ってくれると思います。それは契約にしばられる支配ではない信頼関係で成り立つ自由な世界だと思います。

そのことを僕に理解させるために塞の神は黄泉平坂のメッセージを送ってきたのかもしれません。

すべて僕の妄想なのかもしれませんが、

すべてはつながっている。

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